どうも、ゴ~チョです。
さる9月15日(土)に上演された
Juggling Story Project(以下:JSP)第4回公演『天使・ペテン師・泣き虫』
の感想を書いていきます。内容の考察などネタバレを多分に含んでおりますので、気になる方はそっとタブを閉じてください。
有声劇転換後の2作目
9月15日(土)13:00からの昼の部、18:00からの夜の部の2回上演。前回公演の『春告鳥に花の香りを』は土日2日間の上演でしたが、今回は1日のみでした。今回は一部演者が遠方からの参加ということでスケジュール的に厳しかったのかもしれません。
さて、前回作品ではお芝居のできる俳優を呼び有声劇に踏み切ったJSPですが、今回は俳優さん以外のジャグラー達にもセリフがあり、声を出しました(演者全員何かしら喋ってました)。また、俳優として参加された方もジャグリングを練習し、劇中で一部披露するシーンがあるなど、ジャグリングと物語が互いに歩み寄った形と言えるかもしれません。
声を俳優に任せる“完全分業制”だった前作との大きな違いです。
あらすじ
人間には視えず、人間でもない、天使でもない中途半端な存在の4人(以降、ハンパモノと総称することにします)は、「この世に生きた証」を残すために人間の役に立とうとしていた。自分たちにも天使と似たような“人間に作用する力”があることに気づいた4人は天使の真似事をはじめる。しかし、人間の悪意に疎い彼らは、善良な苦学生を支援しようとする未亡人にあやまってペテン師を近づけてしまう。「人間にある悪意を知れ」と天使から厳しい忠告を受け、再び存在理由を見失う4人。そこでふと気付く...たくましく生きるために悪意を知らなければならないのは人間も同じ。人間に悪意を知らしめる存在ならば、自分たちにもなれるのではないかと...今度は悪魔を目指す決意をする。
物語の中のジャグリングの立場
前回公演の感想を書いたときに、劇中にジャグリングのルーチンを登場させる構造には主に2タイプあるとしました。
感情の発露でルーチンが始まったり、ジャグリングが何らかのコミュニケ―ションとして成立している「異世界」の話を描くAタイプ(非日常の中の日常)
物語自体は日常世界の住人が進行し、ルーチンは日常世界の住人には視えないまたは物理的に作用できない精神世界で繰り広げられるBタイプ(日常の中の非日常)
そして、「ジャグラー役」として舞台に登場し、普通に見る大道芸とほぼ同じ文脈でジャグリングをジャグリングとして見せるという最もナチュラルな(その一方で全員がこれで登場すると極めて不自然な)やりかた(Cタイプとします)を忘れていました。
さて、『天使・ペテン師・泣き虫』の構造はどうだったかと言うと
なんとABC混在型。
整理してみましょう。
- ハンパモノのルーチンは基本的にBタイプ。
- 学生や子分のルーチンはCタイプ。
- 4号(青ハンパモノ)と、刑事、泣き虫のルーチンは分類が難しいですが敢えて分けるならAタイプ。
こうしてみてみると、観客側は「ジャグリングのルーチン」というものを少なくとも3種類以上の文脈を読み分けながら鑑賞することになりますが、観ていて混乱もせずすんなりと物語もジャグリングも追うことができました。これは演出の方の高い構成力によるものかなと思います。
必要な世界観の説明がストーリー中で無理なく成立していて、特に冒頭~群舞~3号(黄ハンパ)のルーチンまでの流れが秀逸だなと感じました。
ここまでで観客は「ハンパモノは、基本的には人間に働きかけられず、人間に作用したいときはジャグリングするんだな」というルールが自然と飲み込めたのではないかと思います。
泣き虫=未亡人の娘(人間)説
Twitter上で関係者自らの呟きによりまことしやかに流れていた「泣き虫=未亡人の娘」説。確かに、未亡人に娘がいることは劇中で話題にはのぼりながら、娘本人は一度も明示的に登場していません。
可能性としてなくはない説ですが、泣き虫には少々人間離れした点が見受けられ、僕はそこが気になりました。
- ハンパモノのジャグリングが実はほとんど効いていないようにも見える(ジャグリングではなくハンパモノたちの喧嘩の滑稽さに笑ったとすると...視えてる?)。
- 1号(赤ハンパ)が泣いていることが「わかる」(見えたのか聞こえたのか感じたのかは不明)。
- 泣き虫のルーチンの後、1号およびその他ハンパモノ達に感情の変化が起こる(ハンパモノ達に作用する力を持っている?)。
- 衣裳の色味が、天使のそれに近い。
衣裳はともかく、以上のことから、泣き虫は何らかの霊感や特殊能力の持ち主ではないかと僕は思いました。
泣き虫=“ハンパモノ”たちの先輩(天使見習い)説
先ほど挙げた泣き虫の気になる特徴から、僕が「こうだったら面白いなあ」と考えるのが
「泣き虫=“ハンパモノ”たちの先輩」説です。
天使の力は劇中でハンパモノ達にも作用していましたし、4号のディアボロは2号(緑ハンパ)および3号の鎮静化にも役立っていました。つまりあの力は、人間でない者たちにもある程度効くということになります。ただし、天使のような上位の存在には力を上書きされて無効化されることもあるようです。
上に列挙したように、泣き虫は
ハンパモノ達が多分視えていて
ハンパモノ達の力に対する耐性があり
逆にハンパモノへ作用する力を持っている。
したがって泣き虫もまた、天使を志すハンパモノだったのではないでしょうか。
劇中活躍した4人よりも早くに天使を目指し、4人よりも幾分か天使に近づいた存在。それでも天使としてはまだまだ未熟で羽も生えておらず、失敗も多いために涙することもしばしば。打ちひしがれる“後輩”たちを見ていられず、自らの力の一端を垣間見せた...
そんなサイドストーリーが浮かびました。
ただ、この説、致命的な欠陥があります。
物語の冒頭で、天使が泣き虫のことをさも一般人かのように助けているんですよね...
いずれにせよ、物語の間隙を、観客にいやみなく色々想像させるのは良い脚本だと思います。
4号と刑事のルーチンの位置づけは
以下に、登場人物の立場/ジャグリングをする動機/道具の意味合いを整理してみました。こうしてみると、ルーチンへの動機の点で、4号と刑事のルーチンがやや異質であることに気づきます。
- 学生:此岸の存在/未亡人に見せる大道芸としてジャグる/純粋にジャグリングのための道具
- 子分:此岸の存在/兄貴に見せるショーとしてジャグる/純粋にジャグリングのための道具
- 3号:狭間の存在/人間の感情や行動に変化を起こすためにジャグる/力の媒介としての道具
- 1号:狭間の存在/人間の感情や行動に変化を起こすためにジャグる/力の媒介としての道具
- 2号:狭間の存在/人間の感情や行動に変化を起こすためにジャグる/力の媒介としての道具
- 泣き虫:狭間の存在の可能性/泣いている1号のためにジャグる?/力の媒介としての道具
- 4号:狭間の存在/自分の感情を発散させるためにジャグる?/力の媒介としての道具だが、その力はここでは空打ち
- 刑事:此岸の存在/天使に力添えを受けた神懸かりの舞い?/道具は、天使の力添えの象徴?
4号は、今まで人に働きかけるために彼らが使っていた道具を誰もいない空間で振り回し始めます。
刑事は、今まで小道具としての紹介や説明的シーンのなかったシガーボックスをおもむろに取り出して扱い始めます。
4号は感情の発散による力の無駄打ち。刑事は天使の助力によりいわゆる“神懸かり”状態にあったと考えると一応ルーチンへの動機の説明にはなるのかなと思いますが、他の人物に比べてルーチン以降への動機がやや弱い気がします。
より説得力を持たせるなら、例えば刑事の持つシガーボックスの意味づけを、彼岸側(天使側)からでも此岸側からでもいいので事前にしてほしかったなと個人的には思いました。
悪魔を志したあとの彼らが気になる
ハンパモノ達は最後に悪魔を志すという大ドンデン返しをかまして終わります。悪魔への転換の予感となるシーンは確かにありましたが、悪魔となる根拠の大部分は1号の最後のセリフが賄っていたように思います。いじわるな言い方をすれば、1号のセリフに頼り切りになってしまっているのが惜しいなと思いました。
根拠としてはもう一つ強烈なシーンがあってほしかった。
そして個人的には、悪魔への道も挫折して、天使でもない悪魔でもない、やっぱり中途半端な彼らなりの道を見つけるシナリオを観てみたいなと思いました。続編を書きたい。
とても良い二歩目
『春告鳥に花の香りを』の感想を書いたときに、僕は偉そうにも「二歩目(次回作)が正念場」と書いたのですが、『天使・ペテン師・泣き虫』は、見事に予想を裏切り期待に応える作品だったと思います。
大道具を必要最小限の抽象的なものに抑え、場面転換の時間を削減、場面変化は演者の演技力と観客の想像力に委ねる英断もよかったです。
いい作品を観たあとは表情筋も財布の紐も緩む。物販も大盛況だった模様です。
あとそうそう、我らがinuike.も物販に立たせていただきました。JSPとのコラボ商品も作りましたよ。
ではまた!