「拍手の練習」は本当に必要?:ジャグリングの拍手練習という習慣について考えてみる
※はじめに宣言しますが、以下に書いたことはあくまでいちアマチュアジャグラーの個人的見解であり「ジャグラーかくあるべし」という要求めいたものではありません。どちらかというと「自分がやるときにはこの辺りを気にしよう」という自戒に近いです。
「拍手の練習」という習慣
私がかつて所属していたジャグリングサークルでは観客にショーを見せる前に「拍手練習」をするという習慣がありました(今もあります)。
これがジャグリングおよびパフォーマンス界隈で広く共有されている習慣なのか、特定のコミュニティでのみ通じるルールなのかは定かではありません。大道芸では比較的一般的な習慣なのではないかなと思いますが、そういった時間をあえて設けない方も一定数みたことがあります。
拍手練習で何をするかというと、メインのジャグリング演目を見せる前に観客の方に
「せっかく観るならリアクションをとってくださいね」
「声出すの恥ずかしい方は拍手でけっこうです」
「すぐできるよう心の準備をしといてください」
というようなことを伝えて、実際に拍手の大きさなり反応速度なりの練習をします。
やっていることは、お笑い芸人さんのライブやテレビ番組の観覧などである(らしい、私自身は観たことないので断言できませんが)「マエセツ」に近いのかもしれません。
いずれにしても
「やらないよりはやっておいたほうがその後の演目が盛り上がりやすい」
という大義名分で行われています。
お互い、別に練習したいわけではない…?
興味深いことにこの習慣、例えばジャグリングの競技会や発表会など、観客含めそこにジャグラーしかいないと想定される場ではまず発生しません。どのあたりでリアクションが欲しいのかは同好の士なのでよくわかっているし、初めから心持ちはリアクションをとるモードになっているから心の準備体操など不要、ということなのでしょう。このような場であえて拍手練習の時間を設けたら、かえって来場者から不興を買うかもしれません。
「前置きはいいから早くパフォーマンスを見せてくれ」
というわけです。ところで、ジャグラーではない一般のお客さんにもそう思っている方は少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
本当にしたいことは何なのか
「やらないより何かやったほうがいい」のは私個人の経験則からもなんとなく腑に落ちています。が、おざなりに済ませてその効果を半減あるいは逆に観客の心を萎えさせてはいないか、と思う場面(自分が演者として拍手練習を担当しているときも含めて)にときどき遭遇します。果たしてやりたいのは本当に拍手の練習なのか、ちょっと考えてみましょう。
主にファシリテーション業(いわゆるワークショップ屋さんみたいな職業)で使われている言葉に「アイスブレイク」というものがあります。見知らぬ人同士の集団で緊張を解きほぐし、空気を和ませ、円滑なコミュニケーションがとれる状態にすることを指すようです。
ツール - FAJ:特定非営利活動法人 日本ファシリテーション協会
ファシリテーションとはまたジャンルが異なりますが、漫才コンビの千鳥について書かれたブログ記事を拝読したとき、「床暖房が効いてる」という気になるキーワードがありました。お客さんが完全に自分たちを身内のように感じて何をしても笑ってくれる状態、それを「床暖房」と表現していました。千鳥はこの床暖房状態を巧みにつくっているから強いのだそうです。
全く知らない人より、ちょっとでも知ってる人のほうが応援しやすい。ここではちょっとくらい感情を発露しても周りの人は引きませんよという空気、ぼんやりと漂う身内感。この雰囲気が作り出せれば、本演目自体が少々うまくいかなくてもそこそこ良いショーになりそうな気がします。
「拍手練習」と称してやりたいのは、上で見てきた「アイスブレイク」や「床暖房を効かせる」に近いのではないかと思います。演者と観客がお互い初対面の状態でギクシャクしたままパフォーマンスを始めるのではなく、本演目の前に心の準備体操をする必要があるのだという考え方は確かに腹落ちしやすいです。
ここが理解できていないまま本当にただただ表層的に拍手の練習をしてしまっても、お客さんには「ジャグリング観にきたのになんかさせられた」と思われ、より白けさせてしまうおそれがあります。
手っ取り早く意識を変えるには
極端な話、「拍手練習」という名前を使わなければいいのでは?とも思います。言葉に行動が引っ張られるというのは往々にして起こり得ます。「拍手練習」という言葉は、少なくとも身内だけの呼称にとどめて、観客の前では明言するべきではないのかもしれないなと思いました。
冒頭でさんざん保険をかけておいてなんですが、炎上は怖いものの、この記事をきっかけに拍手練習に関する意見やスタンスの発信が活発になればいいなとは思います。この記事で書いたことに関して、共感してもらえるのはもちろん嬉しいですし、違った意見も拝聴したいと思っています。ではまた!